半介護状態の母親との生活

徒然雑記

80歳の母親が退院 再び始まる喧騒の日々

母親が1年半入院していた病院を退院した。

しばらく静かで自由だった私のほぼ一人暮らしもここで一区切り。

慢性腎不全で週に三日は人工透析の為に自宅から通院する日々の復活。

まぁ、コロナで面会に行けないままでいれば、痴ほう症か認知症を発症するのではないかという懸念を抱いていただけに、自宅に戻れてよかったね、という反面、あわただしい日常が仕事に及ぼす影響も考えると少しは憂鬱になるのも本音。

残業は出来なくなったから、出来るだけ効率よく仕事に取り掛かれる工夫を日々実行。

それでも、入院前と異なる点は「要介護1」から「要介護2」に変わったため、車椅子やシルバーカーが格安でレンタルできること。

そして何よりありがたいのは、「要介護1」の時からお世話になることが可能になった、透析後の帰宅の送迎バスから自宅室内まで、ヘルパーさんがサポートをしてくれる介護サービスの存在。

バスから自宅まで、そして玄関から室内まで帰宅時の見守りと車椅子のサポートをしてくれるので、安心して仕事に行くことが出来る。

この介護サポートを受ける前は、母が一人でバスから自宅まで帰宅できなくなるほど体が弱ったら、わずかな出迎えの為に、週3回仕事を30分ほど中抜けさせてもらうか、もしくはパートタイマー的な仕事につくかを選択しなくてはいけないかと真剣に悩んだこともあった。

時代が時代なら、介護サービスというものさえ存在していなかったわけで、時という巡り合わせに感謝。

半介護生活だけど 気丈な母の性格に助けられる

私と母親はある意味、真逆の性格だ。

母は女性らしい可愛くて華やかな空間づくりやファッションが好き。
性格も几帳面で神経質できれい好き。

私は、木目調の家具やジーパンにTシャツなどのラフな服装が好き。
どちらかというとややがさつで適当で楽観的。

本当は、同じ空間にいてはいけない存在。
友だちとしては相容れない存在。

相手のためにしてあげたことでも、相手にとっては真逆の解釈として受け取られる。

母は「お前のその性格をなおせ」と言う。
「いい加減、長い付き合いなんだからあきらめてよ」と私は言う。

食事の支度から後片付け。
薬の準備から、仕訳。
朝夕の二回転することもある洗濯。
トイレに行き時の車椅子の介助。
シャワーの介助。

帰宅後は、母に費やす時間になる。
母の部屋には、呼び出し用のボタンがあり、それを押すと各部屋でチャイムが鳴るように設置してある。
日中の室内移動はシルバーカーで自立してなんとかトイレに行けるが、寝ぼけ気味の夜中のトイレは危険なので車椅子移動をするために呼び出すように言ってある。

それでも人工透析を受けると、水制限があるため、便秘になりやすく、下剤を用いると、夜中から朝方にかけて10回近くも「トイレ」と起こされた時は、寝不足でイライラ気味になることもある。

でも、と思い返す。

気丈な母は出来るだけ自分のことは自分でしようとする。

着替えも、食事も、トイレも基本は自分でする。

もし、朝夜着替えの手伝いをしなくてはいけなかったら
もし、食事の介助を毎回しなくてはならなかったら
もし、オムツ使用になって、その介助を毎回しなくてはならなかったら
それを想像すると母の気丈さに助けられていることに感謝する。

さすがにすべてを介護するとなると入院生活に逆戻りするかもしれないけれど、自分でできることは頼ろうとしない意地っ張りさが私を助けているのもまた確か。

齢80歳の母と暮らす日常は、時にへとへとになるし、嫌な自分をさらすこともある。

この生活があとどれくらい続くのか、近いのか遠いのか。

母も「寿命はわからないから困るよね」とたまにこぼす。

それでも、自分のペースを維持しつつ、自分を大切にしていこうと心がける。

母に時間を使う分だけ、自分も大切にしてあげる。

最近は特にそう思うようになった。