本当の自分を探していた 尾崎豊の歌の世界
昨日、久しぶりにふと見たテレビにくぎ付けになって見てしまった。
世代による心にしみる歌ランキング。
その最後に登場した尾崎豊特集。
うんうん、世代だった。
いろいろ買いあさったアーティストたちのCDも大方処分した中で、尾崎のCDは今も手放せない。
荒々しい葛藤の絶叫と、その一方で心のひだに染み込む繊細な美しく優しいメロディ。
苦しさと切なさと悲しみと優しさが織り込まれた尾崎の世界。
制服の時代に響いた歌声は、いまも自分の心をとらえて離さないと気づかされる。
「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」とある歌詞を、いつしか自分の中では「走り続けなきゃならない」と変換していることに気づいた時、最近触れたある言葉がその答えに近づいている気がした。
新しいことをするために生きている
人は何をするために生まれて来たの。
自分はどうして生きているのか。
本当の自分ってなんだろう。
人にとっての永遠のテーマ。
最近は都市伝説的やスピリチュアル系のネットの語り部たち、ネットテラーがいろいろな言葉を発信しています。
「楽しむためにこの世界に生まれて来た」
「機嫌良く生きているのが大切」
「ワクワクして生きよう」
「すべて望んで予定をたてて三次元の地球に生まれて来た」
いろいろな説が渦巻いて、どれが真実なのか逆に迷路に入ったように迷ってしまう。
そんななか、「新しいことをするため」「いくつ新しいことが出来たかが宝物になる」という言葉にであった。
うん、これはしっくり来た。
新しいことって、ワクワクする。
新しいことをどれだけ体験して、経験して、人生の終焉を終えるか。
もちろん、すべての言葉は諸刃の剣だから、「悪いことも新しいこと?」なんて言う人も出てくるかもしれない。
日本の「お天道様が見ている」思想っていいよね
どんなことをするときも、「お天道様に見られていて恥ずかしくないといえる生き方」。
そんな心の核があれば、きっと「新しい経験」は自分を楽しませてくれる。
まったく興味のなかった本の目次だけを一読していく。
入ったことのない店に一歩足を踏み入れてみる。
路線の下りたことのない駅で下車をして、商店街を10分散歩してみる。
飲んだことのないコーヒーを日替わりで飲んでいく。
大きな「新しいこと」じゃなくて、身近な「今まで以外のこと」に新しいことはたくさんある。
一人だけで出来る新しいことはどれだけあるだろう?
友人、家族と出来る新しいことは何だろう?
そんなことを考えるとちょっと楽しくなってきた。
本当の自分は、そうして作り上げていくものなのかもしれない。