知らされていない真実 玉音放送翌日からの空白の7日間
今日、アベマテレビを流し見していて偶然見たのが、終戦時に存在したという「緑十字機」の特番。
見終わった後調べてみると、2016年8月にテレビ朝日の報道ドキュメンタリー番組「ザ・スクープスペシャル」で放送されたものでした。
終戦というと、ポツダム宣言→玉音放送→厚木基地にマッカーサーが降り立つという、ざっくりとした流れを教科書で勉強したことを覚えているくらい。
3年半前の放送だったらしいのだけれど、そうした特番があったこと自体も、まったく知りませんでした。
何気なく見た番組がお正月気分でのほほんとしていた頭に一撃を食らわせてくれましたので、ショックが冷めないうちに感想を。
「平和の白い鳩」日本の命運を背負った決死の飛行
番組を見始めて驚いたのは、玉音放送で天皇陛下が終戦を国民に告げて「はい、終戦」「良かった。良かった」という穏やかなものではなかったということです。
番組を振り返っても印象に残ったことを書き留めてみます。
ソ連は北海道を狙って、北方領土に降り立ち侵略を始めていた。
降伏に向けた正式な手続きをするためにアメリカから指定されたマニラに使節団を向かわせなくてはいけなかったのに、厚木基地陸軍が「反乱軍」となり、抵抗を続けていて、使節団の乗る「緑十字機」を撃ち落とそうと出撃したこと。
マニラに向かう前に、中継地となった当時アメリカ軍の統治下にあった伊江島飛行場(現在の伊江島補助飛行場)に降り立つ2基の「緑十字機」の様子が、ラジオで大々的に放送されていたこと。
その着陸の模様を、第二次世界大戦にピリオドが打たれるストーリーを全世界の人々が固唾をのんで聞き入っていた様子。
何が起きていたのかを世界の人たちは知っていたのに、自分も含めて日本人はほとんど知らされていなかったという事実に二重のショックがありました。
しかも、その折、着陸トラブルがあったのに、奇襲が得意な日本軍の機略ではないかと疑われて、危うくアメリカ軍から撃墜される寸前に。
着陸時の危機的な事態を乗り越え、マニラで降伏に関する協議を行った時に、アメリカがマッカーサーの降り立つ場所に厚木基地を指定。
厚木基地=反乱軍という状況を隠しながらの日程を引き延ばし交渉は、アメリカに何か企んでいるのではないかと疑念をもたれる事態に。
さらに、帰路の途中にも、謎の燃料切れで不時着の危機に見舞われるのです。
もしも、使節団が無事に帰還してアメリカとの協議した書簡を持ち帰れなければ、真の終戦はなかったかもしない。
玉音放送があったにも関わらず、アメリカと再度の交戦が勃発し、ソ連の北海道侵攻が現実化していたかもしれない。
そうなっていたら、今の日本は存在しなかったかもしれないのだと知りました。
出発から次々と襲い掛かる使節団への危機と、奇跡的な出来事、気象や巡り合わせが、今の日本を作ったのだと思うと、戦慄が走ります。
日本国民が知らされなかった「緑十字機」という存在
日本の命運を背負い、生きて帰れない覚悟で「緑十字機」に乗り込み、そして任務を果たした人々のことを、GHQはともかく、どうして戦後の日本政府は公表しなかったのでしょうか。
いうことで、詳細を知りたくなったので、番組の参考文献となったという「緑十字機 決死の飛行 」(岡部英一著)を注文しました。
明日には届く予定です。
読了したら、また感想を書きたいと思います。